食べることは、生きること。家庭料理は母の愛。

こんにちは。ルームエイジングケア 五十嵐です。
捨てる・片づける(てばなす・おさめる・いつくしむ)
お手伝いをしております。

土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』

を読みました。
ただただ、涙が止まらない。(←語彙力なくてすみません)
食事に悩んで、それでも、出来るだけ「料理を作る」を繰り返しているすべてのお母さん・お父さんに読んでいただきたい。
私も、母となった今、自分の母に感謝しかない。
毎日、ご飯をありがとうございました。
お弁当をありがとうございました。
きちんとお礼を伝えることもなく、大人になり、親になり、子供や夫の食事に悩み、この本を読んで、今やっと毎日の手料理のありがたさに気付く。
今、気づけて良かった。

私ってずっとどこの料理・何の料理を追っていたのかしら?
と思ってしまいました。
それで、献立に悩んで、作っても食べてもらえないと悩んで…。
ケの料理で良かったのに…。
(ハレの料理とは、祭りなどの特別な状態。ケとは日常の家庭料理のこと)

この本を読み、料理・食の基本・根源ってここなのかもなぁと。
食の基本って、食から自然を感じ、命を感じ、自分の体調を感じ、生きることなんだよなぁと。
そして、生きること・健康であることって、すべての基本だよなぁと考えさせられました。

最初に言います。私は、料理が苦手です。
料理上手な家事代行サービスを頼めるくらい稼ぎたいと思ったことも度々。
それでも、自分で自分なりの楽をして、子供や夫の健康を想い、料理をしています。
子供ができ、主婦になり4年目。
毎日の献立を考えることや料理を作ることには、大分慣れ、作ることに必死の時代を乗り越え、今やっと、『食とはなんぞや?』と考えるようになりました。
『食=(動物や植物の)命を頂いている』ことだなと38歳にしてようやく気づきました。(遅い~反省しかありません)
そして、現代の乱れた食生活(豊食というわれる時代)に疑問を感じました。
もちろん、社会の成長と共に、私たちが自ら、手軽に食べられる食事や味覚を刺激し、依存させる添加物の食事を求め、買い続けた末の今だということは明白です。
食べることが簡単になりすぎて、食べられることがどんなにも貴重なことで、その食べたもので私たちの体が作られているという大切なことを忘れてしまっていたように思います。
私個人に関しては、20代は完全に忘れていました。
20代の時の私の全ては、ファッションと恋愛とお酒とお金だったように思います。(お酒も弱いし、月収も信じられない少なさでしたが…)

今の私の世界は、心身の健康=そのための食事や住まい=そのために暮らしを整えるという感じに変化してきたように思います。
暮らしを整えながら、同じように暮らしを整えたいと思っている人へのヒントを私がご紹介できたらなぁという気持ちから、現在、自営業という道を選択する運びとなりました。

話はそれましたが、『一汁一菜』でも、十分に必要な栄養はとれるということです。
これを知った今、心が少し軽いです。毎日、おかずを何にしようと考えることから少しだけ解放された気持ちです。
発酵食品であり、日本人の文化とも言われる味噌を溶いて作る具沢山味噌汁とあつあつのご飯…聞いただけでちょっとよだれが出そうですね。
それに、漬物を添えて頂く。
もちろん、育ち盛りの子供にとっては足りないということもあるのかもしれませんから、おかずとして肉や魚があってもいいのかもしれません。
しかし、38歳の私としては、とても魅力的な食事内容です。
味噌汁に季節の野菜を加えて、季節を感じて食べる。たまには、ご飯に味噌をのせて食べる。
なんて素敵なのでしょうか…。
たくさん食べるでもなく、自分のお腹が求める分だけ作って、よそって食べる。
それが毎日の習慣になって、毎日作るので、買う食材の賞味期限も当日のものを買って作って食べる。
そうすれば、世界一位の食品ロスもなくなるのではないかな?とか思います。
私も昔、散々やっておりましたが、1週間分の献立の食材をスーパーで買いだめするので、できるだけ賞味期限の長いものを後ろからとって買うということです。今思うと、これをみんなやったら、廃棄する食品って毎日たくさん出ますよね。そんなことも考えられないほどに、毎日生活に追われ、必死で生きていたように思います。
なので、自分の気持ちを軽くするためには、そぎ落としって大切だなと思います。

私で言うと、そぎ落としたものは、
①いい母・いい妻という理想像をそぎ落とす
 =料理が苦手と家族に伝え、基本作るけれど、気分が乗らない日は作りませんと宣言。加え、たまにご飯と味噌汁だけあるから好きなおかずは自分で買ってきてとする。部屋が汚いとイライラする習性があるから気を付けてとも伝えます。みんな、夜になると「ママ、怒って捨てるかもしれないからね」とか言いながら片付けしたりします。母も人間なのです。

②しなければならないという考えをそぎ落とす
 =片付けも掃除も洗濯もそうですが、すべて自分がやる・やらなければならないという考えを捨てました。家族で住んでいる家で、みんなで暮らしているのだから、それぞれがそれぞれに思う住みやすさや快適を求めて家事を手伝ってもらおう。そしてお互いにそのことに感謝しようと。
なので、4歳の子供にも自分のことは自分でやってもらうようにしています。
布団をあげるのも・カーテンをあけるのも・食器を片付けるのもその時やれる人がやる。土日は4歳の子供にカーテンをあけてもらい、布団をあげてもらうことも。
夜に洗濯を干すのも・食洗器を回すのもその時に最後の人がやる。=だいたい夫。
それで、自分は感謝する役。ありがとう、助かります。2人が体調不良や大変なときは、私が率先してやる。家族も人間同士、対等である。

③あれもこれもと手を出し過ぎることをそぎ落とす
 =しないことリストを決める
これ、私あるあるなのですが、あれもこれもやると決めて、全部おろそかになる~の巻。なので、1個ずつクリアしていくと決めています。
やりたいことは、後々はやると決めて、直近のやらないといけないことを夢中でやって終わらせるというようにしていっています。
色々なことをやっている人(趣味の多い人)ほど、部屋のモノは増える傾向にある気がします。当たり前ですが、先ずは、一番大切にしたい・やりたいことを決めて突き進むのもいいのでは?と思います。

もっと、土井善晴著書の「一汁一菜でよいという提案」の内容のほうを掘り下げて話したかったのに、全然違う話になってしまいました。
すみません。良ければ土井さんの本を読んでみてください。

読んでいただき、ありがとうございます。感謝しかありません。
私がぐっときた文章を数個のせますね。


和食の背景には「自然」があり、西洋の食の背景には「人間の哲学」

食文化は日本人の心を作るもので、それはアイデンティティとなり、自信や信頼を生みます。

家庭料理を失った食文化は薄っぺらいものです。家庭料理は人間の力です。

毎日の料理は、食材に手を掛けないで、素材をそのままいただけばいいのです。

プロの作る料理と家庭料理は全く意味が違うのです。家庭料理は、素朴で地味なものです。目的は自分と家族の健康です。ですから、なんでもありではありません。違和感のあることはいけません。そして、中くらいに、普通においしければ、まずはそれでよいのです。

家庭料理の本質とは遊びでもなんでもありません、生きることそのものです。

人間の暮らしでいちばん大切なことは、「一生懸命生活すること」です。料理の上手・下手、器用・不器用、要領の良さでも悪さでもないと思います。一生懸命したことは、一番純粋なことです。そして純粋であることはもっとも美しく、尊いことです。それは、必ず子どもたちの心に強く残るものだと信じています。親が一生懸命生活していることが、教育の本質であり、たとえそのときは親の気持ちを理解できないことがあっても、いずれ子供たちは経験を更に重ねて、大人になればきっとわかるようになります。「見返りを求めない家庭料理は、命をつくる仕事」と、敬愛する清水博先生は教えて下さいました。

料理することは、すでに愛している。食べる人はすでに愛されています。

土井善晴 『一汁一菜でよいという提案』より

もう、うんうん、うんうんって頷くことばかり。
この他にもたくさん心に響く言葉が並んでいて、私は、度々泣いてしまいました。
家庭料理って上手・下手とかおいしい・おいしくないではなくて、見栄えが美しい・美しくないでもなくって、ただひたすらに、『愛情』なんだと思います。
『愛情』ってすごいなぁって。(←語彙力なくてすみません)
ただただ『愛情』の尊さに涙が出ます。
家庭料理って料理を通して自分の愛情を何十年にもわたり伝える作業なのかな…壮大!

料理しないよって人も、子供や家族が病気の時にはお粥とか柔らかくしたうどんとか食べやすいもの出すでしょ?
それも、十分家庭の味で、母の味(愛情)なんじゃないかなって思います。
お粥っておいしくないけれど、食べると胃袋が温かくなって、愛情を感じますよね。私は、お粥もですが、フルーツが忘れられません。
病気になるといつも好きなフルーツが食べられます。私の食べたいフルーツを探しに行って、皮を切って、出してくれる母の愛情。
今まで考えたこともなかったですが、尊いものですよね。

我が家の子供は、大人になって母の味って思い出す料理あるかなぁ?


本当に長々とすみません。読んでいただき、ありがとうございます。
感謝しかありません。

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