過去にごめんね、ありがとう

五十嵐の過去に
『ごめんね、ありがとう』
と思うことがすごくあって

その内容を紹介したいと思います。

五十嵐の幼少期は、
1歳違いで妹が産まれて
『しっかり者のお姉ちゃん』
という周りからの期待と
自分もそうしなきゃという想いで
保育園・小学校時代を
生きていたように感じます

その時の母のイメージは
【眉間にしわをつけている顔】
だったりします
本当に叱られた記憶のほうが多いくらい
なので
【自分が欲しかった愛情を
感じられなかった】

【寂しかった】
と感じていました

2016年に我が子が産まれて
その我が子を抱っこしたり
あやしたりする母を見たときに
【この人、こんなに笑うんだ!?】
(↑母親に対してなんて言い方)
と思ったのです。

今になれば、
毎日遅くまでフルタイムで仕事をして
家事をして育児をして
地方から出てきて
頼る人もそんなにいなくて
毎日を必死に生きていたのだなと
分かります

母は、私たちに
英語の教材を買ったり
チャレンジを買ったり
ピアノを買ったり
してくれました。

決して裕福ではありませんでしたが
なぜ、それを買ってくれていたのか?

母も父も高卒で社会に出て
働いていました。
母も父も兄弟姉妹が多い家庭だったので
大学進学という選択はなかったのだと思います

そして、習い事をしたり
勉強をする機会にも
恵まれなかったのだと思います

それ故に、
お金を稼いで
我が子には勉強する機会を
色々な教養に触れる機会を
作ってあげたかったのだなと
今は思います
自分のしてほしかったことを
子供にしてあげていたのだな

当時の五十嵐は、
モノを与えられることが嫌で、
その教材はやらないと決めていたように
思います
勉強が嫌いだった訳ではないけれど
勉強をしたくなかった自分がいたように
思います

今になって
母のことを誤解していて
『ごめんね、ありがとう』
という気持ち
でいっぱいです

みなさま
てばなせない過去はありますか?

五十嵐のように
寂しかった過去の感情を
てばなせないパターンもあると思います
反対に
モノを愛情の形と感じて
そのモノをてばなせないパターンもあるでしょう


現在、自分が母親になり
母と同じように毎日を
必死に生きていることで
真顔で過ごしていないかな?
とたまに思います

子供にとって
愛情の感じ方はさまざま
五十嵐にとっては、モノではなくて
毎日私と話す時間をいっぱい作って欲しかった
毎日私のことを見ていてほしかった
毎日家に居て学校から帰ったら手作りお菓子が
あるというお家が憧れだった
と思います

今、我が子がそれを求めているかは
五十嵐には分かりません。
しかし、
我が子が母の愛を感じる毎日
になってくれたらなと
思います

とは言っても
五十嵐も一人の人間で
自分の人生を全うしたいと思っているので
自分の生きざまを見せることで
子供に学んでもらえたらなとも
思っています

五十嵐が親から学んだ
今(70代)も現役で働き続けている
スキルや経験というものを
私も持ちたいと思っています

誰かの役に立ちながら
支えあいながら
生きていきたいなと思います


今日は、
皆さまのご都合が合わず
座談会ZOOM参加者ゼロ~
だったので
念のためZOOMを繋げつつ
このブログを書いています
ちょっとブログ書いて
過去を思い出して
泣いちゃったしね~(笑)

最後まで読んで頂き
ありがとうございます
このブログを読んだ全ての人の
過去が『ごめんね、ありがとう』
で、てばなせますように
そして、毎日が
輝くような日々となりますように
願っています
ありがとうございました!!

てばなすことは自分を信じる作業

 

『てばなすことは
自分を信じる作業

モノと向き合い
そのモノがなくても
大丈夫な自分を知る

それってつまり
執着
恐れ
不安
羞恥心
常識
エゴ
などなど

自分にこびりついた
意識たちをてばなすこと

自分の信頼を
自分で積み重ねよう』


以前、こんまりさんのお弟子さんの
片付けの動画をみたことがあって。

片付けられない人の
お家を片付けるという内容でした。
印象に残っているのは、
高校時代のバイトの給料明細が
全部そのまま取ってあったということ。

その人は、
動画ではもう主婦で
子供もいるのですが、
高校の時にバイトして稼いだきり、
社会に出て働くことはなく
結婚してしまったそう。

社会に出て働くことも
精神的に難しかった
というようなことを
言っていたと思います。
(記憶が曖昧ですみません)

だから、自分が働いていたときの、
自分が頑張っていたときの自分、
その頑張りの対価としての
お金を貰っていたときの自分の象徴
であるバイトの給料明細

これが捨てられなかったのかなと。

そして泣きながらてばなす姿は
私も涙が出たほどでした。

私も20代の時の
会社の給料明細10年分
なぜか大切に持っていたな…
その時にもらった
売上優秀賞の賞状も
なかなか
てばなせなかったな…

紙類の処分に悩む人が多いのは、
学校系のプリントが多いことも
さることながら、
紙が
自分の何か頑張りや
その時代の自分自身の証明
になるからなのかなと感じます。
(例えば、勉強のノートや
卒業証書・優勝した賞状とか)

【誰かから承認されていた
自分の証明書】

もしくは、
【自分自身が
自分を認めていた証】
になるのかなと思いました。

頑張っていた高校時代の給料明細や
何かを必死で勉強した証のノートや
輝いていた時代のアルバムや色紙

自分自身をかたどったモノ
なんだなと
しみじみ思った五十嵐でした

紙に宿るのは、
邪気じゃなくて

*********
承認されていた
承認していた
自分自身
********

なのかもしれませんね。

過去から現在まで大なり小なり
あなたは頑張ってきたでしょう?

===================

過去の自分自身を自分で認めてあげましょう
その証明がなくても価値のある自分を
自分自身が信じてあげましょう

===================

自分自身を認めてあげることで、
過去の自分の証を
てばなすことができるのではないでしょうか?

紙類には邪気が宿るというけれど、
実は、強い想いがやどるのかも
と感じました。
それは、
その紙に乗せた想いや
それを受け取って大切にしたいと
思った自分の想い
だったりするのかもしれませんね